2/24 12:43 UP!
女性の性と「正しさ」について考える
日本ではいまも、
女性の性はどこか慎重に扱われる
「ちゃんとしていること」
「慎みがあること」
そうした価値観は悪いものではない
けれど、それが
「楽しんではいけない」
「主体的であってはいけない」
という空気に変わると少し窮屈になる
興味深いのは
日本がもともと極端に禁欲的な文化だったわけではない、という点
古い文献や江戸期の文化を見ると
性は道徳の外側に追いやられたものというより
人間の営みの一部として存在していた
つまり、「性=悪」という単純な構図は
日本固有のものとは言い切れない
では、いま私たちを縛っているものは何か
それは「正しさ」の固定化だと思う
個人の不安や嫉妬、満たされなさが
道徳という言葉で一般化される
そして女性が女性を監視する構造が生まれる
けれど本質は淫らかどうかではない
「他人軸かどうか」
誰かに評価されるための性は不安定になる
奪うための性は摩擦を生む
でも、自分の身体を自分で理解し
自分の快を自分で引き受けることは
むしろ精神的成熟に近い
性的なエネルギーは
単なる刺激ではなく生命力の一部
抑え込めば消えるわけではない
形を変えて滲み出る
だからこそ必要なのは
解放というより「選択」だと思う
「慎みを持つことも選べる」
「楽しむことも選べる」
そのどちらも
他人に決められるものではない
女性が性を主体的に扱うことは
誰かへの挑発ではなく
自分との対話の時間だ
正しさに縛られすぎず
けれど品位を失わず
そのバランスの中にこそ
成熟した自由があるのだと思う




