10/24 19:50 UP!
32【大切なモノのために体を張れる漢になるには?Vol.2】 ROAD OF THE ERO SHOGUNATE
前回までのあらすじ
~
ウソップの魅力の見せ方の一つ「大切なモノのために体を張れる漢」になるには?
を分析中でやす!
~
前回はそもそも
「なぜ体を張れる漢がカッコいいと思うのか?」
を調べてみました。
今回こそ「誰かのために体を張れる漢」
になるにはどうしたらいいのかを考えていきたいと思います!
調べる前に僕なりに考えてみました。
①【自分が満たされていること】
誰かのために体を張る前に自分が満たされていなかったら、心から誰かの為を思えない気がします。
空腹のときに喜んで食べ物を分け与えられるか?
下痢の時に誰かを助けようと思えるか?
自分が悲しくてどん底の時に人の世話をしてられるか?
多分僕には難しいと思いました。
だからまずは自分を満たすことが大事と考えます!
②【罪を憎んで人を憎まずの精神が宿っていること=人を愛する事】
人は誰しも生まれたときから悪ではないと僕は考えています。
だけど人生のどこかで悪になるような出来事があったから現在はそうなってしまっている、そんなふうに僕は考えています。
つまり相手もなりたくてそうなってるわけではない
そう考えれば、自分を散々痛めつけてきた人がいたとしてもなんとか赦せる気がします。
そしてその罪を赦し、人を愛そうとすれば、相手が誰であろうと体を張れるのかな?なんて思いましたが、できる自信は今のところありません…
まぁそもそも嫌いは人のために命を張らなくてもいいかななんていう気持ちもあります
③【日頃の小さな出来事から行動して「反射」にしてしまう】
道に迷ってる人がいたら助ける
職場やクラスでさみしそうな子がいたら話しかけてみる
大変そうな人に席を譲る
いちいちやろうか?と迷うからやったりやらなかったりになる
であれば、夕食を食べたら歯磨きをするように
困ってる人を見たら毎回助けると決めて行動していれば反射的にやろうとなるのかもなんて思いました。
④【誰かを助けることは自分を助けることと考える】
「情けは人の為ならず」
人に情けをかけたり親切にしたりすることは、その人のためだけではなく、巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味ですが、僕も本当にそう思っています。
ただここで助けた相手から何か見返りをとか考えていると、経験則的に大体良くない方向にいきます
というかそもそもそれは「助け」ではなく「対価」としての行動になってしまう
だから
助けた相手からは何も返ってこないし期待もしない
でもそれがいつか巡り巡って何か自分に良い効果をもたらしてくれる
最初の「自分を満たす」と同じで、人は自己犠牲では行動し続けられないと思っています。
そして実は助けた時点で、自分の中に何か温かい自分を誇る気持ちが湧いてきて、それだけでその日一日が前向きな気持ちになるくらいのパワーがもらえる気もするのでそれだけでも十分なのかもしれないなと。
ざっと思いつくのはこんな感じでした。
僕以外の意見も調べたいのですが長くなりそうなのでまた次回書くことにします!
次回
【大切なモノのために体を張れる漢になるには?Vol.3】
お楽しみに!
今日も読んでいただきありがとうございました!!
~
ウソップの魅力の見せ方の一つ「大切なモノのために体を張れる漢」になるには?
を分析中でやす!
~
前回はそもそも
「なぜ体を張れる漢がカッコいいと思うのか?」
を調べてみました。
今回こそ「誰かのために体を張れる漢」
になるにはどうしたらいいのかを考えていきたいと思います!
調べる前に僕なりに考えてみました。
①【自分が満たされていること】
誰かのために体を張る前に自分が満たされていなかったら、心から誰かの為を思えない気がします。
空腹のときに喜んで食べ物を分け与えられるか?
下痢の時に誰かを助けようと思えるか?
自分が悲しくてどん底の時に人の世話をしてられるか?
多分僕には難しいと思いました。
だからまずは自分を満たすことが大事と考えます!
②【罪を憎んで人を憎まずの精神が宿っていること=人を愛する事】
人は誰しも生まれたときから悪ではないと僕は考えています。
だけど人生のどこかで悪になるような出来事があったから現在はそうなってしまっている、そんなふうに僕は考えています。
つまり相手もなりたくてそうなってるわけではない
そう考えれば、自分を散々痛めつけてきた人がいたとしてもなんとか赦せる気がします。
そしてその罪を赦し、人を愛そうとすれば、相手が誰であろうと体を張れるのかな?なんて思いましたが、できる自信は今のところありません…
まぁそもそも嫌いは人のために命を張らなくてもいいかななんていう気持ちもあります
③【日頃の小さな出来事から行動して「反射」にしてしまう】
道に迷ってる人がいたら助ける
職場やクラスでさみしそうな子がいたら話しかけてみる
大変そうな人に席を譲る
いちいちやろうか?と迷うからやったりやらなかったりになる
であれば、夕食を食べたら歯磨きをするように
困ってる人を見たら毎回助けると決めて行動していれば反射的にやろうとなるのかもなんて思いました。
④【誰かを助けることは自分を助けることと考える】
「情けは人の為ならず」
人に情けをかけたり親切にしたりすることは、その人のためだけではなく、巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味ですが、僕も本当にそう思っています。
ただここで助けた相手から何か見返りをとか考えていると、経験則的に大体良くない方向にいきます
というかそもそもそれは「助け」ではなく「対価」としての行動になってしまう
だから
助けた相手からは何も返ってこないし期待もしない
でもそれがいつか巡り巡って何か自分に良い効果をもたらしてくれる
最初の「自分を満たす」と同じで、人は自己犠牲では行動し続けられないと思っています。
そして実は助けた時点で、自分の中に何か温かい自分を誇る気持ちが湧いてきて、それだけでその日一日が前向きな気持ちになるくらいのパワーがもらえる気もするのでそれだけでも十分なのかもしれないなと。
ざっと思いつくのはこんな感じでした。
僕以外の意見も調べたいのですが長くなりそうなのでまた次回書くことにします!
次回
【大切なモノのために体を張れる漢になるには?Vol.3】
お楽しみに!
今日も読んでいただきありがとうございました!!




